中村に小高い塚がありました。村人は女塚(おんなづか)といい、その上にある小さなお堂を三味線堂といっておりました。
むかし、京都からはるばるやってきたという黒姫と名のる白拍子(しらびょうし・歌をうたい、それにあわせておどる女)がいつの頃からか、このお堂に住みつきました。一ところ束ねただけで、長くたれさがった美しい黒髪、透きとおるように白い顔に黒く澄んだ瞳、「むかしは東男(あずまおとこ)と京女(きょうおんな)」といって、京都の女は美しい言われましたが、まさにそのとおりの美しさでした。しかし、じっと人を見つめる時のまなざしは、妖精のような美しさと、ぞっとするような冷たさを感じ、村人は薄気味が悪いといって、だれ一人近づく者がありませんでした。
黒姫は、毎日京都から持ってきたという古い三味線を弾きながら、
〝あかきくちびる 女のうわき
切れぬはずだよ 女のくびは
こいのうらみで 刃が折れる〟
と唄うのでした。
こうして、ここに住みついて、二十年あまりの月日がたちました。ふくよかな美しい顔も、深いしわにやつれはて、丈なす黒髪もずっと短くなり、白さが目立ってきました。
いつも閉めきったお堂の中から聞こえてきた三味線の音も途絶えがちになり、そのうちに、ぷっつりと聞こえなくなりました。黒姫はひとり寂しく死んでしまったのです。村人はあわれに思って、お堂のわきにていねいに葬ってやりました。
ところが、あとに残された三味線に、黒姫の魂がのりうつったのでしょうか、三味線の三本の糸は、一本・一本先が丸くて平たい蛇の頭となって、その裂け目から、ペロペロと細く赤い舌を出し、三本の尾はもつれあって、パタパタと動けば、ピンシャン・ピンシャンと三味線の音のように聞こえ、死んだ黒姫ののろいの音のように響きわたりました。
また、この三味線がお堂にあるためでしょうか、近くの山や畑で、蛇にかまれる人が多かったのです。村人たちは、「恐ろしいこった。これはきっと、あの女のたたりにちがいねえ。」と話し合い、女の墓のそばに三味線をうずめ、寺の和尚さんに頼んで、ねんごろに供養しました。
そしたら、ふしぎなことに、それからは蛇にかまれる人が、ほとんどなくなったということです。
こんなことがあってから、この塚を女塚といい、お堂を三味線堂と言うようになったということです。