山また山のずっと奥の秋山は、朝日が昇るのがおそく、夕日が沈むのが早い。田畑も少なく、あまり農作物はとれない。食べ物がなければ生きていけない。昔のことで、どこの家でも子だくさんで、いつも食べ物がたりなかった。雨が降り続いたり、日照りが続いたりで気候の悪い年には、作物は不作でどうにもならず、口べらし(※家族の人数を減らすこと)でもしないと共倒れになってしまう。本当に困っていた。
そこで、六十歳にもなって、仕事ができなくなった年寄りは、大倉山に捨てられた。大倉山は、大倉沢を一時間も登ったところで、
大きな岩と絶壁、松や杉がうっそうと生い茂っていて、昼なお暗い山だ。
姥捨(うばすて)は村の決まりだから従わないわけにはいかない。親孝行な息子はつらかったけれど、仕方ないとあきらめて、粗末な最後の夕飯をおっかさんと食うと、大倉山へ向かった。
「おっかあ、悪いなあ。かんべんしてくろ」
息子は、背負ったおっかあに言うと、おっかあは、
「なあに、気にするな。村の決まりだ。仕方ねえ。おらあ、じゅうぶんに生きたよ」
「だけど、親を山に捨てるなんて、やだなあ」
息子はおっかあを背負って、険しい山をゆっくりゆっくり登って行った。
帰りは、背中は軽くなった。けど、心はせつなくなって、重く重く沈んでいた。
「ああ、困った、困った」
と、ぶつぶつ言いながら、大倉山の横通を下りてきた。
今でもこの道を「困ったよこつ」って呼んでいる。
※姥捨(うばすて)の話は全国各地に残されており、老人自ら山に入るという風習もあったようだ。どうしても親を捨てられない息子が床下に隠しておいた老婆の知恵で国を救ったことから「年寄りを大切に」と姥捨をやめたという話はよく知られている。