文政十二年(一八二九年)江戸に大火があった時のお話です。
宗対馬守(そうつしまのかみ)の屋敷もはげしい火につつまれ、火の粉が雨あられと降りそそぎ、もう助からないと思われました。
その時です。逃げまどう人々を押し分けるようにして、一人の大男が門前にあらわれました。背の高さが一丈(約三メートル)位で、背中にかごのようなものを背負っています。火の炎に照らされて、顔も手足も真っ赤です。眼はらんらんと輝き、鼻がとても高く突き出て、それはそれは、ものすごい姿です。大男は、ゆうゆうと門の扉をはずして、両手に持つや、大うちわのように火の炎に向かって、あおぎはじめました。そのものすごいこと、まるで、鬼神(死者の霊魂と天地の神霊)か風神(風をつかさどる神)のようであったといいます。そして、不思議なことに、あんなにはげしく吹きつけていた炎が、だんだんと静まってきたではありませんか。
その時までぼぉーとしていた屋敷の武士たち、また近所の人たちも、「それっ!」と、必死になって防火につとめたので、宗家の屋敷とその近所の家々は、焼けずにすみました。
その様子を見ていた対馬守は、大男のめざましい働きぶりに感動し、「お前の名は何というのか。」と大声でたずねました。
すると、大男はちょっとふりむいて、「おれか、おれはアソのアカベよ。」といったかと思うと、そのままどこともなく立ち去ってしまったということです。
やがて、家事さわぎがおさまったとき、あの男はだれだろうと、うわさになりました。対馬守は家来といっしょに考えた末、アソとは、自分の領地である下野の国(栃木県)の安蘇に違いないということになり、家来をやって調べさせましたが、安蘇郡のどこかにも、そんな大男は住んでいないし、見たこともないという。最後に領民から、「氷室の天狗さまでは」という話がでました。というのは、安蘇の奥地、秋山の氷室山の頂上に神社があり、祭神は赤部という天狗様です。それではきっとそれに違いないということになりました。
対馬守は、はるか氷室山神社のある方角に向かって正座し、ていねいに頭を下げて、神のお助けに対し、お礼を申されました。それから、家来を氷室山まで行かせ、神社にお参りをさせました。また対馬守はわざわざ京都まで行って、天子様(天皇)にこのことを申し上げました。朝廷でも、霊験あらたかな神とおぼしめされて、公化四年(一八四七年)十二月十七日勅宣(天皇の命令)により、正一位氷室山神社の称号が贈られたとのことであります。