あきやま学寮のそばを流れる秋山側の東の高台に「喜八畑」と呼ばれる畑があります。そこに村人から「喜八っつぁん」と呼ばれる人が住んでいました。今から三百年以上昔のことです。この喜八っつぁんは、走ることがとても得意で、まるで鳥が飛ぶように走るので、村の人々は「飛ぶ鳥喜八」と呼んでいました。その速いことといったら、一反(約十二メートル)の反物(一反の織物)の端を持って走り出すと、布は少しも地面にひきずれなかったということです。
このように速く、休まず走れるので、村人に急用ができると、きまって喜八っつぁんに頼むようになりました。時には、江戸(東京)まで用事を頼まれると、朝早く家を出て、昼ころには江戸についてしまう。用事を済ませ、昼飯を食べるとすぐ秋山に引き返してしまいます。そして、夕方には自分の家でかわいたのどにお茶を飲んでいるのです。
喜八っつぁんは、江戸から帰るときには、いつも秋山と水木の境の片根の坂あたりから、右手を横にのばして走ってきました。そのわけは、家の入り口の橋のそばにある大きなケヤキの木につかまって止まるのでした。
ところが、時々、勢いが強くてケヤキにつかまることができないこともありました。さあ大変!そこから一理(約四キロメートル)ほど奥のへつりの山に「ドスーン」とぶつかって止まるのです。山にぶつかって、おでこのこぶをなでながら歩いて帰ることもありました。今、喜八っつぁんのような人がいたら、オリンピックで優勝まちがいなしだったでしょうね。